本紙もメディアの一員だが、日本に報道の自由がないとの実感は全くない。見当外れの批判には堂々と反論すべきだ。
言論と表現の自由に関する国連の特別報告者、デービッド・ケイ氏が、日本では現在もメディアの独立性に懸念が残るとする報告書をまとめ、6月24日に開会する国連人権理事会に提出する見通しだ。
ケイ氏は2017年5月にも特定秘密保護法の改正や、放送局に電波停止を命じる根拠となる放送法4条の廃止を求める11項目を勧告した。新たな報告書はこのうち9項目が未履行だとしている。
これに対し、菅義偉官房長官は「不正確かつ根拠不明のものが多く含まれ、受け入れられない」と述べた。当然である。勧告に法的拘束力はなく、これまでも政府は逐一に反論してきた。
ケイ氏は16年に来日した際、外国人特派員協会で会見し、「政府の圧力で日本のメディアが萎縮している」「多くのジャーナリストが匿名を条件に、政治家から間接的なプレッシャーを受けていると話した」などと述べた。
だが当時も現在も、日々の各紙には政権批判の記事があふれ、テレビではさまざまな立場のコメンテーターが自説を述べている。
政府の圧力があったとして、それで本当に報道が萎縮するのか。日本のメディアはそれほど情けないか。不当な圧力があれば、むしろ各紙、各局は、張り切って取材し、報じるだろう。それがメディアの矜持(きょうじ)である。見損なわないでいただきたい。
特別報告者は人権理事会に任命され、国連とは独立した個人の資格で活動している。国連の総意を反映するものではないが、時に国連のお墨付きを得たものとして利用される。1996年に特別報告者のクマラスワミ氏が慰安婦を性奴隷と位置づけた根拠のない報告書が代表例である。
人権理事会は加盟国の人権の状況を定期的に監視する国連の主要機関だが、恣意(しい)的に政治利用されることも多い。米国は昨年、「人権の名に値しない組織だ」などと批判し、離脱した。
国連自体の人権意識にも問題はある。発生から30年を迎えた中国の天安門事件に関し、ドゥジャリク事務総長報道官は「特にコメントはない」と述べた。最大級の人権問題に沈黙する組織に、どんな価値があるというのだろう。